Hiro's page

Portrait in Black and White
「モノクロームの肖像」
〜バルセロナで出遭ったチェット・ベイカーの肖像〜

 チェットは晩年、インタビューでこんな会話を交わしている。
…あなたの名演奏「ユー・キャント・ゴーホーム・アゲイン」というタイトルはあなたにとってどんな意味を持つのか?
「僕の生まれたオクラホマはね、おおよそ文化的には不毛の土地といえるだろう。ヒルビリーやロカビリー…そんな音楽を聴いて、週末には酒場で殴り合いの喧嘩をやらかす。それがヒップだと思ってるわけだから…もう絶望的だね。そんな場所には帰る必要性を感じない。ヨーロッパに居た方がいい。僕は旅が好きなんだ。いろいろな人達に出逢い、そしてトランペットで何かを語るのさ…」

 この言葉が私の頭から離れることはなかった。
なぜならば、チェットの演奏する「ユー・キャント・ゴーホーム・アゲイン」という1曲のバラードは当時まだ若かった私の心を揺り動かし、自分もラッパ吹きとしてチェットの音楽をより深く聴くきっかけになった。
 それから5年後、私はチェットと出逢い一緒に演奏をし、語り合った。その直後1988年5月13日の金曜日、チェットは旅先のホテルから転落死−。その死は世界中に報道された。
 死のちょうど80日前にチェット自身が私宛てに送ってくれた彼の愛用のトランペットは、その後の私の人生を大きく変えるに十分な贈り物となった。

Barcelona ある日、突然私はそのチェットのトランペットを持ってヨーロッパをひとり旅することにした。行く先はスペイン…。半ば衝動的ともいえるこの「チェットの足跡を探す旅」を実行に移そうとした時、別の目的地が頭に浮かばなかったわけではない。彼が亡くなったアムステルダム、晩年住んでいたベルギーのリエージュ、またはチェットが私と国際電話を何度も交わしたホテル「アン・デ・フランス」のあるパリ…。そのいずれの地もがチェットの形見のラッパとの再会を待ち焦がれていたに違いない。
 しかし、行き場所の決まった旅ならいつでも行けるな…、そう思った私は、あえて目的地のない、それも自分にとって全く初めての地、スペインで気の向くままに1週間を過ごしてみよう、と心に決めたのだった。
…とはいえ、フラメンコや闘牛にはあまり興味が湧かないし、マドリッドのような大都市にも長居はしたくない。感じたいのはやっぱりバルセロナの風。
 しかし、数多いヨーロッパのチェットの録音記録を見てもバルセロナの地名は見当たらないし、ましてや事前に何の情報も無しにチェットの足跡を見つけることなど無理な話かもしれない。正直なところそんな不安もあった。

Chet バルセロナのホテルには着いたものの、やはり思ったとおり何も無い3日間が過ぎていった。私は何の根拠も無くこの街を選んだ事を半ば後悔した。
今日もまた観光地巡りで時間をつぶすかな…と、遅い朝食に出た帰りがけにふらっと通りかかった小さなCDショップ。その壁にかかっていた一枚の写真。
 それは私が今まで見てきたチェットのどのポートレイトよりも衝撃的だった。まさに私が譲り受けたブッシャーのトランペットを抱えたチェットのモノクロの肖像の前で、私は思わず立ち尽くしていた。
 若者でにぎわう狭い店内に、妙な東洋人が片手に古いトランペットケースを下げたまま呆然とその写真の前で立っている姿はさぞ滑稽に映ったことだろう。
「Can I help you?」振り向くとそこに1人の青年が立っていた。スペイン語訛りの英語で語りかけてきたその青年はどうやら店員のようだった。
「この写真は売り物?」私は聞いた。
「チェット・ベイカーです。この写真は僕の友人が撮ったものです。申し訳ないですが、お売りすることはできません」
 彼はそっけなくそう答えたが、よほど私が深刻な顔でもしていたのだろう、こう続けた。「私はジョルディといいます。この店をやっている者です。あなたチェットが好きなんですか? この店はチェットの作品は全て揃っていますよ。何故なら私はスペインでナンバー1のチェット・ベイカー・コレクターですから…」
 彼は奥の部屋に私を連れて行った。そこにはむかし日本の老舗ジャズ喫茶にあったような、作りつけの木製の頑強なレコード棚があり、そこには途方も無い数の古いLPが並んでいる。ジョルディ曰くそれらは全て正真正銘のオリジナル盤だというのだ。チェットのコーナーだけでもかなりの数が揃っていた。
 私の心は高鳴った。ヨーロッパの他のどこの国へ行ったとしても、多分こんな人間には遭えなかっただろう。なぜなら、彼は実は有名なスペインのあるジャズ復刻盤メーカーのプロデューサーで、世界中のオリジナル盤がここに集まってくるということなのだ。
「ビ、ビンゴ!!」私は思わず叫んでしまった。
 「ではお返しに…」と言って、私は持ってきたトランペット・ケースを開け、チェットの形見のトランペットをジョルディに見せた。
 勿論ジョルディは驚愕し、そしてそれから3日間、私はジョルディの家に世話になることになったのだ。
 同棲中の恋人はベッティナという見るからに賢そうな女性で、ジャーナリストだという。彼女の作ってくれたカタルーニャ料理は最高で、我々は毎晩酒を飲みながら遅くまでチェットの音楽を聴き語り合った。
 そして最後の日にはジョルディは私のために自分の店を閉め、店にあった例の“チェットの写真”を撮った写真家の家に私を連れて行ってくれたのだ。

Chet & Stan Getz その写真家はルイス・サロームという名前の男だった。部屋の隅に積み上げられた写真を指差しこう言った。
「その下半分がチェットの写真だよ。いろんなアーティストを撮ったけれど、チェットは実に素晴らしい被写体だったね。ヨーロッパの全てのライブに行って彼の写真を撮りまくったよ」
 晩年のチェットの写真を撮った経験のある写真家達と話をするのはいつも興味深い。なぜなら、チェットの音楽を聴きながら、ステージの下から、脇から、その繊細な演奏に合わせてシャッターを切る彼等は共通する独特の感性を持っている、と私は感じるからだ。
 私は半日かけてその写真の山を整理し、チェットがスタン・ゲッツと83年にツアーした時の写真など数点を選び、ジョルディとともにルイスのアトリエを後にした。

メルベイユ 最後の日の午後を、我々はバルセロナの町が一望に見渡せる丘の上にあるキャフェ「メルベイユ」で過ごした。
 ガラス張りの巨大なドームのようなこの場所は、アダルトな男女で賑わっている。ジタンやゴロワーズのようないわゆるブラック・タバコが好きなスペイン人が、ここでも気楽に煙を立ち上らせている。しかし、圧倒的な空間の広さからか、不思議と不快感がない。
 DJがCDを回して、ポップス、ロックなどいろんな音楽をかけている。一瞬の静けさの後に、突然ボリュームが上がり、チェットの「ザ・ソング・イズ・ユー」が始まった。タイトな4ビートだ。ジョルディがまた気を利かせてDJに頼んでくれたんだろう、そう思って彼の顔をみると、こちらを見て目をまるくしている。「WAO... Chet is here!!」
まるで夢のような時間だった。
ジョルディは私をクルマに乗せ、すっかり陽の落ちた山道を街に向けて下った。ホテルの前に着いたとき、彼はトランペット・ケースを抱えた私にこう言った。
「ヒロ、それでラウンド・ミッドナイトを吹いてくれないか?」
 私はラッパをケースから出して彼に向け、そして吹いた。
 吹き終わると、ジョルディは「紙袋」を私に手渡した。「今の演奏へのお礼だ」。
私は中を見ずに彼らに別れを告げた。

sings 部屋に着いて冷蔵庫からスコッチのミニ・ボトルを1つ取り出し、私はそれを一口で飲み干した。
「明日はアランフェスによって日本へ帰ろう…」
  私はテレビをつけ、寝る仕度をはじめた。ニュースもスペイン語じゃ解りゃしない。テレビを消し、私はさっき贈られた紙袋を思い出し、開けた。
 その中には、なんと私が昔から欲しかった『チェット・ベイカー・シングズ』の10インチLPのオリジナル盤が無造作に入っていた。
「ジョルディ、ありがとう…」
 この旅は終わりを告げようとしている。
 初めは何も目的など無かった。誰も知る人も無かった。
 でも、やはり思ったとおりチェットは私の傍にいて、私のゆく道を照らし偶然の不思議を思う存分味わわせてくれた。
 ベッドの上のチェットのトランペットだけが、もしかしたらそれを知っていたのかもしれない。

アランフェス バルセロナを発ちマドリッドに向かう途中ずっと私の頭に流れていたのは、ギターのジム・ホールの有名なアルバム「コンチェルト」の中でチェットが吹く『アランフェス協奏曲』だった。
 これまで何度聴き返したか知れない美しく哀しいメロディ、その作曲者が感じたアランフェスという村の波動を自分自身で体験したかった。
 マイルスがギル・エヴァンスと、或いはチェットがジム・ホールそしてポール・デズモンドと共に紡いだこの旋律…。
 音楽とは何と不思議なものなのだろう。
 ひとりの盲目のギター弾きが、目に見えない「音」という波動をこの小さな村で発し、それにジャズ・アーティストが共鳴して、より自由でユニバーサルな音楽形態に姿を変える。
 それは世界中の都市に住む多くの人々に感動を与え、それぞれの心の奥深くで共鳴をはじめ、ゆっくりと成長してこの地に想いを馳せる気持ちに変わっていく。
 そしていつしかその心は人々と共に自らが生まれた地、アランフェスを再び訪れるのだ。
 私はしばらくアランフェスの城の園内を歩き、泉のほとりに座って目を閉じ、身体をその波動に共鳴させた。
 私は帰路につく。アランフェスの城の出口には深い水路があり、もの凄い勢いで水が流れている。その濁流の音は全てのロマンティックな感情を打ち砕く。
 ジョルディとの会話。ワインの香り。ブラックタバコの煙…そして私の心に流れるアランフェスの旋律までをも一瞬の内に消し去ってしまう。まるで神聖なる儀式のように。